はがくれな日々  第0話「4月下旬」

♪ウーイェー、ダラタッタダラタッタ
♪ベイベベイベ、ダ、ダラッタタッタダラタッタァン
♪ウー
ピッ

 どんなに好きな曲でも眠気を妨げられるとやっぱりムカつく。だからといって嫌いな曲だと寝起きの気分が悪くなる。
 まあ、ただけたたましく鳴るだけのアラームよりはいいか…
 そんなことをぼーっと考えながら、手の中の携帯電話を見る。時間はいつも通り、ここでもう一度寝たらバイトに間に合わない。
「ふぁぁぁぁ〜〜〜あ」
 大きく欠伸を一つして、もぞもぞと布団から這い出る。
 寝るときに寝間着になる習慣がないので、着の身着のままふらふらと洗面所にたどり着いて、水道をひねる。
 まどろんでいる時間が好きな俺にとって、冷たい水は天敵以外の何者でもなかったが、覚悟を決めてパシャパシャと顔を洗い、ボサボサの頭を直しもせずにそのまま玄関へ向かった。

 靴を履き、玄関を出て、カギをかけようとしてようやく、自分が財布を持ってないことに気づいた。
「あー、ったく」
 自分のことではあるが、さも誰かが悪いような顔をしながらドアノブに手をかける。
 靴を脱ぐのが面倒なので土足のまま部屋の中央までドスドスと歩く。
 汚れるとか汚れないとかよりも、靴をもう一度履く労力のほうが一大事、一人暮らしの自堕落にすっかり慣れた大学2年の春のことである。

「はよざいまーす」
「おーう」
 店に入ると店長や先輩がすでに開店間際という感じで働いていた。
「早く着替えて掃除しろー」
「うーっす」
 先輩の声にケツを押されていそいそと更衣室に向かい、その入り口手前でタイムカードを押して、自分のロッカーに財布と携帯を半ば投げ込むように入れる。
 うちの店は最近のラーメン屋によくある、前掛けとバンダナのラフなスタイルなのでさほど着替えに時間もかからずに厨房に入る。
 あまりやる気の感じられる動きではないが、それなりに慣れた手つきで掃除用具を出し厨房を一通り掃除、次にテーブルを拭いてまわる。

 自堕落な俺ではあるが、金をもらっている以上はきちんと働くというのは一応のポリシーとして持っていた。ただしそのポリシーも「働いている時」に限るのでそこに向かう段階で生じる遅刻だけはどうにもならず、嫌いな目覚ましをかけてなんとか今のところは間に合わせているといった感じだ。
 まあ、働きはじめて1ヶ月でこれなので、おそらく半年もすれば5分か10分遅刻しながら申し訳なさそうに来るようになるんだろうな、という確信めいた予感がしてはいるのだが。

「掃除オッケーでーす」
「5分前か、よし、暖簾かけてこい」
「あーい」
 気の抜けた返事で、店の入り口の脇に立てかけてある暖簾をとって、ガラガラと戸を開ける。
 生暖かい4月下旬の風にバンダナからはみ出た髪と、手に持った暖簾を揺らされ、大欠伸をひとつ。
「くっそ、ねみぃ…」
 やっぱりまだ寝足りないのだろうか、頭の隅にすこしまどろみの残骸が残っている。
「無気力症じゃねえだろうなあ、ったく」
 寝る前に深夜のニュースで聞いた単語をボソリと呟きながら、背延びをして暖簾をかけ、わざとらしくパンパンと手を払う。
「っし」
 入り口を開けて厨房に戻る。俺の定位置である隅っこの洗い場に陣取って、店長に向けて親指を立てる。
「オッケーっす」
「うっし、開店だ。今日もよろしくぅ!」
「はいっ!」
 先輩達に合わせて、眠気を消し飛ばすように威勢のいい返事をした。

 巌戸台駅前、鍋島ラーメン「はがくれ」

 この物語は、このけっこう美味いラーメン屋に集う
 ちょっとクセのある客とごくごく普通な店員たちの
 どこにでもあるようで、どこにもないような日常のお話である。

続く

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