はがくれな日々  第1話「4月22日」

「はいらっしゃーい」
「っしゃいませぇー」
「ぁらっしゃいぁせー」
 店内に響き渡るいらっしゃいませのエコー、笑いながら入ってくる月高、月光館学園の高等部の生徒。
 こいつらが集団で来ると下校時刻なんだな、といつも思う。駅近くのこの店は小腹を空かせやすい育ち盛りの絶好の餌場で、時間的に一番早いのがこいつら、所謂帰宅部って連中だ。
 次いで部活終わりの体育会系、会社帰りのリーマンときて、最後に一杯ひっかけた酔っ払い達の腹を満たしてやったところで、閉店と相成るのがいつもの遅番のシフトだ。
 ここで働きはじめて2年とちょっと、バイトの中ではベテランに分類される俺は今日も夕方のラッシュの始まりに軽くひとつ伸びをした。

「っしゃいませー」
「へいらっしゃーい」
「…ぁせー」
 いらっしゃいの波に乗り遅れて小声で呟きながら入り口を見ると見覚えのある男が入ってきた。2年も働いてると常連の顔も覚えるが、こいつはそういうのとは関係のない次元で覚えていた。
 まず現れる頻度が半端なく、そのくせ来る時間が一定でないのでなにをしている人間なのかわからない。遅番の俺が見るのはこの時間から閉店間際まで様々だが、早番に聞いたら開店直後からいることもあるそうだ。話を総合すると週に3〜4日は来ている計算になる。
 次にその外見、格好はロングコートにニット帽のあきらかに季節感を無視した服装で、俺がバイトを始めたころからずっと、季節を問わずこれだったからそりゃあ記憶には残る。ちなみに俺はこいつをその服装から「ロンコのあんちゃん」と呼んでいる。
 まあ強面と帽子のせいでいまいち年齢がわからないので「あんちゃん」という呼称が正しいかどうかはいまいち疑問が残るのだが、もう他のバイトにも広まってるので最近はそういう名前として認識してしまえと割り切っている。

 20分くらいして、ロンコのあんちゃんは無言のままスープを最後の一滴まで飲み干し、そしておもむろに懐から薬を出してコップの水で流し込むと席を立った。ひょっとしてなんらかの病気でやむなくあの格好をしているんだろうか、そんなことを思いながら俺もレジに向かう。
「ありがとうございます、特製一つで――」
 言い終わるより早くレジに無造作に放り出された小銭はきっちり代金分。そういえば何度もレジでこいつの会計をしたことはあるが釣り銭を渡した記憶がない…もしかするとラーメン用にいつも金を用意しているのかもしれない。謎は深まるばかりだ。

 ロンコのあんちゃんを見送ってから数十分、エアポケットに入ったように客足が衰えた。混雑時はガヤガヤ騒がしい店内にはまばらな客が黙ってラーメンをすする音と、控えめなテレビの音が流れるだけだった。
 こういう時間は度々あって、俺らバイトは大抵こういう時間に水や具の補充、拭き掃除なんかを急いでやる。ラーメンを食うヤツのバイオリズムってのがあるのかもしれないが、こういう時間のあとは一斉に客がくるのが恒例なので、逆に気が抜けないのだ。  というわけで座席の片付けを新人に任せ、チャーシューやらネギやらを切っているとようやく店の入り口が開いた。入ってきたのはまた月高の生徒が二人、体格からして体育会系って感じじゃないので文化部の帰りかもしれないなと思い顔を見ると、片方の少年には見覚えがあった。
 ロンコのあんちゃんほどではないが確かこいつも常連だ。週に2回くらいはうちに通ってくる茶髪の少年。こっちは大体がこれより少し早いくらいの時間にきていたはずだからおそらく帰宅部なんだろう。今日はダチと話しこんでいて遅くなったといったところか。
 この茶髪くんはたまに友人を連れてくるが大抵は帽子にヒゲのお調子者(二人でテンション高めに話しているからわかる)のやつで、今日の相方は初めて見るやつだった。

「あ、特製ひとつと、おい、お前なんにする?まあいいや、初めてだからこの店のスタンダードを食え、な?すんません特製ふたつで!」
「あいよ特製二丁ー!」
 相手の返事も聞かずに注文を告げる茶髪くん。当の相方はどこを見ているのかわからない顔でうんうんと頷いていた。
「まあよ、やっぱり百聞は一見に、なんだっけ?しかず?しかずってなんだろ」
「どうでもいい…」
「そうだな、つまりは食えば全部わかるってことだから楽しみにしてろな!」
 目の前のカウンターでは茶髪君がしきりにうちのラーメンを褒め称え、いまかいまかと俺が差し出すドンブリを待っている。確かに俺もこの店のラーメンに惚れこんでバイトを始めたクチだから、ウマいと思うし提供する側になってからは自信もある、あるんだがあまりハードルを上げられるのもどうしたもんか。
 相方君は相変わらずぼんやりと茶髪君の演説を聞いている。が、さっきの反応を見るに多分声は左から右に抜けているんではないだろうか。人事ながらこいつらの友情が少し心配になったところで、厨房の奥から店長の声がする。
「特製二丁あがったぞー」
「はいっ!」
 俺はいい返事をして、熱々のドンブリを受け取って注意深くカウンターの二人の前に置く。厨房ではずっとスープの匂いはしているが、ドンブリから立ち登る「ラーメン」としての香りはやはり別格で、茶髪君の演説を聞くでもなく聞いていた俺は今日のまかないはラーメンにしようと心に決めるのだった。
「おっ、きたきた!これだよこれ!」
「……いい匂いだ」
 テンションは対照的だが、二人ともがいただきますもそこそこに勢いよく食べ始める。
 ずるずるずる。もぐもぐ、ずるずる。ごくごく。もぐもぐずるずる。
「ング、ング…ゴク、ゴク……ふぅー。うーん染みるなーコレ。」
 茶髪の少年はうんうんと頷きながらしきりにスープを口に運んでいる。今は店長が調理してるにせよ、ここまでうまそうに食ってもらえれば作ったほうは素直に嬉しい。そういう意味では無表情に黙々と食べるロンコのあんちゃんより茶髪君のほうが好感が持てた。
「…な、な、分かった?ここのスープ、スゴくねえ?多分スープに何か入ってるね。普通は、絶対入れないようなもの…」
 一息ついて隣の少年にまくし立てているのを見て、俺も一緒に首を傾げる。確かにこの店のスープには隠し味がある「らしい」のだ。何故「らしい」なのかというと、スープの仕込みは店長しかしない上、決してその材料が何かを教えてくれないからだ。バイトの間では隠し味を見破ったら暖簾分けしてもらえるなんて噂があるほどである。
「なんだろうなー…ここの店名と関係あんのかなー…」
 なおも首をひねる茶髪の少年をもう一人の少年は訝しげに見つめている。見れば彼のドンブリの中身は結構減っていた。喋っていない分か茶髪君よりも食べているくらいで、ペースとしてはかなり早い。
 第一印象からなんというかぼんやりしているとか、眠そうとか思ってしまったが美味い物にはきちんと反応しているんだと少し安心した。ひょっとしたらあまり茶髪君と仲がいいわけではなくうまいラーメンに釣られてきたグルメ君なのかもしれない。

「…あ、悪りい。オレ、ここで食うと、テンション上がっちゃうんだよね。」
 自分の世界からようやく帰還したらしい茶髪君が隣の少年に謝っているのを自分の仕事をしながら横目で眺める。
「黙って食べろ」
 一瞬耳を疑う。どうやらその声は隣の少年が発したようだ。やっぱりこの二人、ラーメンを取ったらあまり交流しないのかもしれない…
「あ、ああ、そうだな。喋ってると、麺とかが伸びちゃうしな。けど、その食いっぷり……この味がわかってる感じだな。」
 茶髪君、なんてポジティブなヤツだろう、もしくはMだろうか。だが食いっぷりに関してはさっきも思ったが全く同感だった。茶髪君の言葉を補足するなら麺だけでなくスープもやはり熱いうちに飲んでもらいたいのが作る側の希望である。
 俺の想いが通じたのかその後彼らは気持ち悪いくらい無言でラーメンを平らげてから、水をちびちび飲んで談笑を始めた。俺はなんとなく高校の頃を思い出す。
 俺らの場合はラーメン屋じゃなかったが、帰りになんか食いながらダベるだけなのに、なんであんなに楽しかったんだろう。恥ずかしい言い方をするならそれが青春ってやつなんだろう、とか思って柄にもねえなあと首を振ってネギを手にとった。

「…ところで、お前ってもう岳羽さんと仲いいんだって?転校したてで、よくやるなー……ま、オレそういう積極的なヤツ、嫌いじゃないけどね。」
 店の裏に空き瓶を捨ててきて戻ってみると、トークのテーマが恋愛話になっていた。うんうん、その年頃の一番盛り上がる話題だよなと思って見てみると相変わらず茶髪君がまくし立てて隣の少年は相槌をうっているだけだった。ただ、よく見ると別に相手の少年は嫌そうな顔ではなく、どっちかというと聞くことを楽しんでいる様子で、ひょっとしたらこの二人はこういうコンビなのかもしれないなと、自分の認識を少し修正しておいた。
 そう言えば今転校したてと言っていた気がする。と、すれば隣の少年は転校生で、必ずひとりはいる「俺がこの街のことを教えてやるぜ」的なクラスメイト、この場合は茶髪君、に連れられていきつけのうまいラーメン屋にやってきたってとこだろうか。
 人間観察が好きな俺は顔を覚えた常連でいつもこういう感じに遊んでいた。推理と真実があっていれば心の中でガッツポーズをとるだけだが、あたったときの快感はなかなかのもんだった。ちなみにロンコのあんちゃんは目下最強の難問で、俺がバイトしているうちには答え合わせもできるか怪しと思っている。

「また帰りとか、どっか行こうぜ。ヒマな時でいいからさ。そんとき、オレの計画教えてやるよ。たぶん驚くぜー?」
 茶髪君はニヤニヤしながらボンヤリ君改め転校生君の肩を叩いている。多分このくらいの年にありがちな大げさな表現なんだろうが、聞いてしまった以上気になるので作戦会議は是非うちで、と心の中で言っておいた。
 隣の少年改め転校生君は頷くでも首を横に振るでもなく茶髪君の方を見ていたが、茶髪君はあまりにまっすぐ見られたせいか後ろを振り返る。そしてテレビに気づいてはっとした様子で顔を戻す。
「あれ、もう夜じゃん?…つか、ドラマ見逃した!?たぁー、マジかよ…まぁ、とにかく、帰ろうぜ。」
 話に夢中で時間を忘れていたのだろう、少し天井を仰ぎ、一つ溜息をついて立ち上がる。転校生君もひとつ頷いて椅子をガタっと揺らして立ち上がる。たぶん茶髪君が見逃したドラマは数年前に流行っていて今再放送してるアレだろうな、と思いながら俺はレジに向かった。
 いいっていいってといいながら二人分の代金を出す茶髪君から代金を受け取って、彼らが店を出ていくのを見送ると、すれ違いにスーツの男性がひとり入ってくる。
「いらっしゃいませー」
「らっしゃいませー」
 席へ案内すると続けざまに今度は二人。会社の上司と部下だろうか、スーツ姿の男性が入ってきた。
「らっしゃいませー」
「っしゃいませー」
「いらっしゃいぁせー」
 どうやら少年たちの話を聞きながら仕事をしてる間に俺も時間を忘れていたらしい。ここからは会社帰りのサラリーマンでごった返す時間帯だ。俺は気を引き締めなおしてパンパンと手を払い、水の入ったグラスをカウンターに差し出した。

続く

home